この物語を、人は恋と呼ぶのだろうか

休日はどこも賑わっているものだと、きらびやかなショッピングモール内に、ぐるりと目を向けた時のこと。
「煉獄先生!」
どこかで聞いたことのある声が、煉獄を呼び止めた。振り向くと、見覚えのある青年が微笑みを浮かべながら、礼儀正しく頭を下げた。
カラリと鳴る、珍しい花札のような形状のピアスと、秀でた額に走る稲妻のような痣に、煉獄はすぐに合点がいった。
「竈門少年か! 久しいな、元気だったか?」
「はい! 煉獄先生もお元気そうで、なによりです!」
優等生のようなハキハキとした受け答えに、目もとが緩む。竈門少年は黒いキャップを被り、清潔そうな白いシャツ、キャップと揃いのマークをつけた黒いエプロンを身に着け、首からは入館証を下げていた。
軽快な音楽が、賑わう人々の雑談を程よく分散させてくれていて、それらひとつひとつもまた、BGMとなっていた。
週末のショッピングモール。
何でもない日常の中での再会に、自分はもとより、竈門少年のほうが興奮しているようだった。
「こんなところで先生にお会いできるなんて、嬉しいです! あ、実は今日、ここのパンマルシェに出店しているんです! ご存知だとは思うのですが、俺の家はパン屋で……最近俺は店長になったのですが、今日はその宣伝も兼ねて禰豆子と……あ、禰豆子っていうのは妹で……! ふたりで、パンを販売に来ているんです!」
「そうか、それは感心、感心!」
「あの、よかったら先生にもパンを……あ、いえ! でも、せっかくの休日にご迷惑ですよね、すみません!」
よく笑ったかと思ったら、急に顔を青ざめさせたりと、彼の表情はころころ変わって、見ていて飽きない。ふむ、と顎に手をあてて思案している煉獄を、困惑していると捉えたのだろう、ますます竈門は慌てた様子で両手を顔の前で振って、矢継ぎ早に捲し立ててきた。
「あの、本当にすみません、宣伝目的とはいえ貴重なお時間を奪ってしまって、おやすみですし、か、彼女さんとかとデート……とかですよね? すみません俺、気が利かなくて……で、では俺はこれで失礼し──」
「彼女なんていない」
咄嗟について出た言葉に、竈門の顔が安堵の色に染まっていく。変わらない子だと、煉獄は思う。
学生時代から君は、ちっとも変わらない。

「では、このさつまいもパンと、さつまいもデニッシュを頂こう!」
竈門の案内で訪れた、ショッピングモールの通路の一角で煉獄は元気な声を張り上げた。その声に、道行く人が足を止めるが、自分が客寄せパンダとなって、元教え子の店の売上が上がるのなら本望だと、煉獄はほくそ笑む。
「お買上げ、ありがとうございます!」
すでにビニール袋に詰められたパンを、手際よく紙袋に入れていく竈門の顔は、見ていられないほどに真っ赤だ。そしてちらちらとこちらに目線を送っては、その目が合うと「はわぁ」だとか、気が抜けた悲鳴をあげている。
気が付かないなんてこと、あるわけがない。
在学中も、そうやって赤い顔で夢見がちに見つめられたことは幾度もあった。けれど彼は、ハッキリとその気持ちを伝えてくることはなかった。それは今でも同じらしく、震えながら紙袋を差し出す竈門は、あの頃のままの臆病者だった。
「こちらこそありがとう、ちょうど小腹が空いていたんだ」
「よかったです、うちのパンが煉獄先生のお腹を満たせるなら……本望です!」
とんでもないことを言っている自覚はあるのだろうか。
微笑ましく思う気持ちと、この紙袋を受け取ることしかできない自分を歯痒くも感じた。
彼の好意を知りながらも、それを聞き出すことも、受け止めて来ようともしなかった自分が、何を今更。もどかしい気持ちにどう切り返そうかと煉獄が口をモゴモゴさせていると、思ってもいない救世主が現れた。
「お兄ちゃん、せっかくだからちょっと休憩してきたら?」
声をあげたのは、竈門の隣に立ちながらエプロンの紐を結び直す、黒髪の女性だった。彼女のクラスを担当したことはないが、彼の妹であることは知っていたから、なんとなく見覚えはある。
「えっ、いやでも俺さっきトイレ休憩に行ったばかりで──」
「そう言って最後まで休憩に行こうとしないんだから、今のうちに行って英気を養っておいてよね! 店長なんだから、もっと偉そうにしてよ!」
と、そこまで言い切ったところで、今度は彼女の目がこちらを捉えた。
「そういうわけで、煉獄先生──お兄ちゃんをよろしくお願いします!」

「すみません……せっかくのお休みなのに……」
彼に尻尾があるとしたら、今頃シュンと垂れ下がっていることだろう。妹に背中を押された自覚すらないようで、申し訳なさそうに煉獄の後に続いていた。
「そうでもない、俺は楽しいよ」
そう言って、歩く速度を彼に合わせて緩めると、肩が並び合う。学舎ですれ違っていたころは、もっと小さく見えた子だったけれど、今は頭ひとつぶんの身長差に縮まっている。
清潔そうなシャツの下にある筋肉も、随分発達しているのではないだろうか。太くなってきた首筋から、逞しさが見えている肩を、少し張りがある胸元へと、自然と目線が下りていき、煉獄はハッとした。
「……竈門、何か食べたいものはあるか?」
別にやましい気持ちがあるわけではないが、彼の容姿をつぶさに見て取るのはいけない気もして、話題を逸した。
ショッピングモールの、広い中庭をぐるりと囲むように作られたフードコートには、色々な飲食店がひしめき合っていた。休日ということもあって人も多く、自分たちが教師と元教え子であるなんて、きっと誰も気に留めたりしないのだろう。
「あ、いや……俺は別に何も……」
けれど竈門は、そういうことを気にしてしまうのだろう。真面目で、ルールをしっかり守る子供だったから。
煉獄はふっと笑みを零すと、竈門が持たせてくれた紙袋を彼に手渡した。
「じゃあ、席を取っておいてくれ。君の好きそうなものを買ってくる」
言いおいてすぐに背を向けてしまったからわからないけれど、きっと今頃、竈門は真っ赤な顔で硬直しているのだろう。
それをわかっていて、自分はどうする気なのだろうか。

「ありがとうございます、いただきます!」
「うん、君の口に合えばいいけれど」
「そんな、先生が選んでくれたものに間違いはないです、鶏ガラのラーメンが好きなんですよ、俺!」
好き、という言葉を口にした張本人は、赤い顔で俯きながら箸を持った。彼が食事をする様子をついじっと見つめていたくなるけれど、彼のパンを食べることで、不審者のような振る舞いは回避できた。
「うまい!」
柔らかなパンの甘みに相好を崩すと、目の前の彼がぱあっと顔を輝かせた。
「ほんとですか! 嬉しいです、俺、煉獄先生がさつまいもがお好きだと聞いていたので、いつか先生に食べて欲しいと思って何年も研究して作ったパンなんです、特に小麦の配合には気を使って、先生好みの食感になるように……」
「ああ、それでこんなに美味しいのか、ありがとう竈門」
「い、いえ……はい……こちら、こそ……はい……」
何年も研究して作ったパン。
それはいつからだろうか、在学中からなのだろうか。
どうしてこちらの好物を知っているのだろうか。
聞いてみたいことは山ほどあるのに、竈門の恥じ入るような顔を見ていたら、何の言葉も生まれてくれなかった。喉まで出かかっては、飲み込んでしまう言葉たち。
──君は今でも俺のことを……

「ごちそうさまでした」
「こちらこそ、君と食事ができて嬉しかったよ」
たったそれだけの言葉なのに、竈門は目を潤ませて感極まってしまっている。その気持ちが手に取るようにわかるからこそ、その気持ちが本物であるかどうかを知るのが、少し怖い気もした。
例えばそれを受け取ったとして、自分は彼に、彼が望むようなものを返せるだろうか。彼を、そういう目で見てあげられるだろうか。
「俺、売り場に戻りますね! 先生は休日、楽しんで下さい!」
ぺこりと頭を下げた彼の頭から、ふわりと帽子が零れ落ちる。それを受け止めながら香った小麦の匂いに、こちらを見上げる彼の熱のこもったような目に、たったそれだけのことなのに、迷いがすっと消えた。
「竈門」
彼の帽子を胸に抱き、少しだけ呼吸を整えてから、彼に差し出した。
「良かったら今度、俺と出掛けてみないか」
帽子に触れる指先がひくりと震える様子に目を落とす。彼の顔を、真っ直ぐに見ることはできなかった。

そうして始まる物語を、人は恋と呼ぶのだろうか。

 

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