あらすじ
ある日、煉獄先生は炭治郎からシロツメクサの指輪を受け取った。なんてことはない子供の悪戯みたいなものだと思っていたけれど、次第に心は彼に傾いて──。
炭煉ワンドロワンライ「炭煉全力」作品。第99回お題「シロツメクサ」より。
4000字程度
指先へ贈る、
「煉獄先生、俺と結婚してください」
赤い顔をした竈門炭治郎は、呆然と座っている煉獄杏寿郎の前で恭しく跪いた。そして、彼の厚い左手を、宝物にでも触れるようにそっと手に取ると、ゴソゴソと何かを薬指に巻き付け──ようとして、苦戦していた。
「あ、あれ、おかしいな、入らない……き、キツ……っ、思っていたよりも太い……どうしよう……っ、ううん……っ!」
彼は何とも悩ましげな声をあげて、煉獄の指を最初の繊細さなど忘れて、ただ必死にこねくり回し始めた。煉獄は、目をぱちぱちしながらその様子を黙って見守っていた。止めないか、と、振り払うのは簡単だ。けれど、真っ赤な顔で、涙目になりながら何かを画策している彼を無碍にはできなかったのだ。彼の赤茶色の旋毛あたりを見下ろしながら、ただ擽ったさに堪えた。
「くっ……想定外だ……でも俺の煉獄先生への気持ちは、誰にも負けることはない……っ、煉獄先生!」
小指あたりに、何かが嵌まった感触があった。
「大人になったら、本物をあなたに贈ります。それまで、待っていてくださいね!」
「竈門少年……?」
彼は、これで完璧だとばかりにふうと息を吐きながら額の汗を手の甲で拭い、すっくと立ち上がった。そしてあっけにとられている煉獄に向かって、照れくさそうに笑って、折り目正しく礼をした。
「おい待て竈門──!」
煉獄のすぐ背後に居た宇髄が声を掛ける暇もなく、竈門炭治郎は脱兎のごとく職員室を飛び出して行った。突然の嵐に見舞われた教員たちは皆ぽかんと竈門炭治郎が消えた廊下を見遣り、それから、弁当片手に硬直している、頬を紅潮させた煉獄へと目を向けた。
──ちょうど、昼食時の出来事であった。
「人騒がせな奴だな、あいつ」
「ああ……」
同意しつつも、煉獄の目線は指先に注がれている。左手の小指にうまく嵌っているのは指輪だ。しかし、ただの指輪ではない。白詰め草の指輪だ、本物の白詰め草の。白い花と、よくよく見ると珍しい──よつ葉がアクセントになっている、愛らしいものだ。
ただの雑草だ、白詰め草なんて。
けれど。
どんな宝石よりも、美しく見えるのは何故だろうか。
「子供の言うことだ、真に受けんなよ煉獄」
「わかってるさ……」
言いながらも、煉獄の目もとは柔らかい。一時的な騒ぎも過ぎてしまえば、いつも通りの昼食時だ。午後からも授業に部活動にと忙しない教員たちは、各々の昼食に手を付けていく。煉獄も例外ではなく、人の倍以上の弁当に箸をつけていくけれど、その目はどうしたって、白詰め草の指輪に吸い寄せられていく。
「竈門少年……」
人知れずそう呟いてみる。いつもなら十分程度で空になる母親お手製の弁当箱は、この日に限ってはなかなか時間内に食べ切ることができなかった。
竈門炭治郎。
キメツ学園高等部三年の男子生徒だ。
耳もとに校則違反の、花札のようなピアスをしている以外は、品行方正な優等生。ピアスの件で、毎朝風紀委員の富岡先生に追い掛けられているが、親の形見であるというそれに、そこまで目くじらを立てることもないだろうと、理事長から許しが出ている程だ。(富岡先生が竈門炭治郎を追い回すのは、単に彼が厳しいだけだろうけれど)
授業は毎日まじめに受けているし、わからないことがあればすぐに挙手して質問ができる、勉強熱心な子だ。何せ放課後になると、わざわざ煉獄の根城である社会科準備室に訪れては、歴史についてより深く学んでくれるのだ。その純粋な、歴史への興味と熱意に絆された煉獄は、毎度相好を崩して彼を迎え入れていた。
「感心、感心!」
と、煉獄は竈門炭治郎の頭を撫でながら褒めちぎることも多かった。社会科準備室には、彼のためのお菓子やココアが用意されている。それらを惜しみなく出しながら、煉獄は日々、竈門炭治郎に歴史について語っていた。その時の彼の顔、彼の表情に裏表などなかった。いつだって目を耀かせて、煉獄の話しに耳を傾けてくれていた。
「すごいです先生、俺、歴史がもっと好きになりました!」
彼の感極まった言葉通りに、竈門炭治郎の歴史の点数はめきめきと上昇していった。理解力が成績に出れば、煉獄とて鼻高々だ。自慢の生徒だと、誇りに思っていた。
それだけに、竈門炭治郎によって与えられたこの指輪の意味に、まだ実感が湧かないのだ。くすぐったいような嬉しさもあるけれど、生徒からの好意が『結婚』という言葉に結び付かなくて。
だから煉獄はその日の放課後が訪れるまで、竈門炭治郎が社会科準備室へと訪れるまで、只々、白詰め草の指輪を眺めては、ぼんやりとしていた。
そう、彼が来るのを待っていた。
しかし、どうしたことだろう。最後の、下校の時刻を知らせる放送が流れても、竈門炭治郎は来なかった。彼の好きなクッキーを用意して、落ち着かない心地で社会科準備室で待ち構えていた煉獄は、項垂れながら帰路に着いた。
白詰め草の指輪は、体温の高い煉獄の指の上で萎れてしまった。押し花にでもできないだろうかと外したが、そのやり方が乱雑だったせいか、それはほろほろと崩れ落ちた。それで仕方なく、破片をティッシュに包んで本の中に挟んではみたものの、出来上がりの醜さが容易に想像できる始末だ。
言いようのない虚しさが、煉獄の胸に訪れた。
「煉獄先生、結婚してください!」
翌日、また昼食時に竈門炭治郎が現れた。手には何かしら持っているように見えた。しかし、そう何度も侵入を許されるはずはない。風紀委員の冨岡に「そのピアスを外せ!」と追い掛けられてしまい、煉獄の指には風が当たるのみだった。
そうして、放課後に竈門炭治郎は訪れない。ただの偶然だと思っていたことが続くと、煉獄も不安を覚えてしまう。彼の熱烈な言葉に反するように、煉獄の表情は次第に曇っていった。
そういうことが一週間ほど続き、煉獄の指に指輪がうまく嵌まったのは初日だけ、後はただ彼の悲鳴のようなプロポーズが職員室に轟くのみだった。当然、社会科準備室に竈門炭治郎の姿はない。指先は、いつも通りの無骨な男のままだ。
彼に揶揄われているのだろうか。
高校生とは言え、悪戯が過ぎることもあるだろう。
そうだこれは、悪戯だ。
大人を揶揄っているのだ。
そう考えると胸が非常に痛んだが、悪戯であれば仕方がないと、深いため息を零した。結婚してほしいと言われて、舞い上がってしまった自分が情けない。
煉獄先生、と、竈門炭治郎の優しい声が耳に残っている。あんなに心優しい子でも、冗談を言って人を騙すことができるんだな。煉獄は自嘲気味に笑った。放課後の社会科準備室、訪れるはずの人はそこに居ない──。
「煉獄先生、結婚してください!」
夏休み直前の昼食時、この日も竈門炭治郎は職員室を訪れた。
熱心にプロポーズを続けて、およそ二ヶ月余り。初日はあっさり侵入を許され、翌日からは風紀委員の冨岡に追い回されていた彼はこの日、ゆうに二ヶ月ぶりに職員室の中へと足を踏み入れることができた。と、言うのも、ちょうど彼を追いかける役割の冨岡が、珍しく食堂でぼっち飯を堪能していたからだった。長期休暇前の彼は、食堂の料理の味わいを噛みしめる傾向があるのだ。
それを知っていたのかどうかは定かではないが、竈門炭治郎の足取りは堂々としていた。他の職員たちは、また来たよと半笑いで、特に彼を咎めることはなかった。熱心に通い詰めたことで、周囲の理解を得られた──というよりは、子供のかわいい悪戯に思われていたのかもしれない。現に煉獄も、これを本気として受け取ってはいない。半ば緊張した面持ちで跪く竈門炭治郎に対し、煉獄の顔は呆れてすらいる。
彼が恭しく煉獄の手をそっと手に取る。そしてポケットから、何かを取って指に差し入れる。指輪だな、煉獄はどこか冷めた心地でそれを見下ろしていた。また白詰め草の指輪だろうか。嵌めても、すぐに萎れて無くなってしまう、子供のおもちゃのようなそれを贈る意味が、理解できない。
彼は子供で、自分は大人だ。
大人の心を試して、その反応を見て嗤っているに違いない。
こんなもの、贈られたところで──。
「煉獄先生」
左手の薬指にひやりとしたものが、静かに嵌まった。ほらやっぱり。白詰め草の指輪だ、白い花がきれいな指輪だ。それを嵌めた張本人は、煉獄の手を取ったまま、赤い顔を上げる。
その凛とした顔つきに、息を呑む。
「俺は煉獄先生のことが好きです、中等部の頃から、いいえ、きっともっとずっと昔から好きだったと思います。あなたを見た時から運命を感じていました。あなたが俺を好きになってほしいという気持ちはありますが、同じにならなくてもいいと、俺は思っています……」
「竈門少年……」
いつになく真剣な言葉に、少しだけ心が揺れた気もしたが、この二ヶ月授業以外で彼にほとんど会えなかった寂しさが募って、はいそうですかと頷くことができない。
「ですから、俺は卒業したら煉獄先生を──」
「──君は人を揶揄って楽しいか?」
竈門炭治郎は、目を瞬かせた。
「君は結婚したいと言いながら、ちっとも俺のところに来なかったじゃないか、今更好きだ何だと言われても心に響かない。君は、俺を揶揄って楽しいのか」
重ねられた彼の手を振り払えないまま、煉獄は頭に血が昇っていくのを感じた。
都合が良すぎるのだ。指輪ひとつで気持ちが君に傾くわけじゃないか、と。胸中で零した本音は口にしなかった。ここは職員室だ、衆目がある。自分は教師で、生徒を正しい道へと導く存在だ。ここで理性的に彼を諭して、教室へと帰さなくては──。
「……先生はこの一ヶ月、何を思っていましたか」
それなのに竈門炭治郎は、こちらの心を揺さぶってくる。
「何を……とは……」
「俺のことを、考えていてくれましたか」
その顔は、嬉しさが滲んでいた。あまりに眩しいその顔に、二の句が告げないでいると、背後から宇髄が「それくらいにしておけ、竈門」と割って入ってきた。
「それ以上は、煉獄のキャパオーバーだ」
「……は! そうですよね、すみません!」
竈門炭治郎はハッとした顔でさっさと立ち上がると、今一度煉獄の手を握り締めて、熱い眼差しで見下ろしてきた。
「煉獄先生、この二ヶ月、あなたの心を独り占めできたことを嬉しく思っています……寂しい思いをさせてすみません。二学期からは、ぐいぐいアタックしていくので、覚悟していて下さいね!」
「……それはどういう……」
問いかけるよりも早く、彼はぺこりと頭を下げるや否や素早い身のこなしで職員室を後にした。残された煉獄だけがぽかんとしていて、周囲の教師たちはやれやれと言って肩を竦めている。その顔は皆、煉獄を優しく見守ってくれている。
「一体、何だったんだ……竈門少年は……」
「二学期になれば嫌でもわかるんじゃねえの? ったく……鈍いにも程があるだろ」
ぽんぽんと宇髄に肩を叩かれたが、やはりどうも煉獄はピンと来ない。しばらく腕組みをして思案していたが、指に嵌めた白詰め草の指輪に目が止まると、彼の『ぐいぐいアタックします』という言葉を思い出して、目もとが緩んだ。
白詰め草の指輪は当然のように萎れてしまったけれど、いずれ彼がやって来るであろう二学期が、待ち遠しい。そう思うのは何故なのか、彼に会いたくてたまらないのはどうしてなのか。答え合わせが楽しみだと、煉獄は優しい眼差しで、彼の精一杯の気持ちを嵌めてくれた指先に目を落とした。

※コメントは最大1000文字、50回まで送信できます