「恋のレッスン──初級編9」
上等なスーツが汚れるのも厭わずに片膝をついた、煉獄先生。彼が緊張した面持ちで差し出してきた、真っ赤な薔薇の花束。朝日の中の、御伽噺のようなプロポーズ。炭治郎は、どうすればこれを現実として受け取れるだろうかと、迷いながらもその花束に向かって腕を伸ばした。
「四十本の薔薇の花束には『真実の愛』という意味が含まれている、だそうだ」
たんぽぽ頭の友人、我妻善逸はスマートフォンの画面に眉を上げつつそう述べた。彼と向かい合うように座っていた炭治郎は、もうすっかり飲み終えてしまったジュースのストローを咥えながら「ほえー」と間抜けな声を上げた。
「花なんざ何本でも同じだろうが」
「いや、そうでもないぜ、花の種類や色で意味が変わってくるそうだ。って、胡蝶先生がそういうことを話してくれていたぞ」
善逸の説明に頷く不死川玄弥は、つまらなそうに頬杖をつく嘴平伊之助に食べ切れなかったポテトを差し出した。伊之助の興味はすぐにポテトに移り、「お、いいのか!」と玄弥に向かって目をキラキラさせた。顔立ちだけは少女みたいな伊之助だけに、女性が苦手な玄弥はぎゅっと目を瞑って「もう食べらんねえから、いいって」と顔を赤くさせた。
ファストフード店に集うのは、炭治郎と友人たちの四人組だ。彼らは同じクラスに在籍しており、日頃からこうやって仲良く遊んでいる間柄だ。とは言え、モヒカン頭の玄弥や、どう見ても染めているようにしか見えない金髪の善逸、顔だけは女の子並に可愛いのに口を開くと野太い声が出る伊之助の組み合わせに、大抵の人は二度見してしまう。今日もそのようで、周囲の客の視線がチクチクと痛い。善逸は、ひりつくような視線の痛みに「うーん」と唸りつつ、ハンバーガーを頬張った。
「立派なプロポーズだとは思うけどさ、炭治郎は今までそういう言葉もらったことなかったんだろ」
「うん……」
「信用していいのかなって、俺は思うね」
「それに関しては俺も同感だな」
善逸の言葉に頷く玄弥は、心配そうに眉を下げながら隣に座る炭治郎の顔色を窺った。傷だらけの顔をしているが、玄弥は友達思いの男なのである。
「一度炭治郎の告白を断ってたんだろ、何でそんな奴に炭治郎が心を許さなきゃいけないんだよ」
「玄弥もそう思うだろ、俺だって何度も言ってるんだけどさ、炭治郎は人が良すぎてさ、何ていうか、夢見心地みたいで……って、聞いてる?」
おーいと善逸に顔の前で手をひらひらされても、炭治郎はどこか遠くを見つめながら「はあ……真実の愛か……」と、独り言を零している。
「煉獄先生、俺のことをそんなにも好きだったなんて」
「いやいや、好きだったら何してもいいわけないでしょ」
と、善逸。
「そうだぞ炭治郎、目を覚ましたほうがいいって」
と、玄弥。
「俺って愛されているんだな」
ほう、と甘い吐息を吐く友人の恋する様子に善逸と玄弥は顔を見合わせて、盛大なため息を零した。だめだこりゃ。大昔のコントのオチのような台詞を吐いて、友人たちはどうしようもなく純真な友人に憐れみの視線を寄越した。
もとはと言えばこの友人、竈門炭治郎がクリスマスイブの朝に教師である煉獄杏寿郎にプロポーズされたことを発端として集ったのだが。その当の炭治郎本人が、まんざらでもなさそうなので、友人たちの助言がまるで梨の礫のように無為に空気に溶けてしまっている次第だ。
「まー確かに煉獄先生は炭治郎にだけ明らかに態度違ったけどさ」
と、善逸。
「すっげー甘い目をしてたよな」
と、玄弥。
「あのおっさん、もし炭治郎を泣かしたりでもしたら許さないぞ……!」
「善逸、同盟組もうぜ」
「おうよ玄弥! 炭治郎は俺たちが守る!」
善逸と玄弥が互いの拳を握り合う中でも、やはり炭治郎は夢見る乙女のような目でぼんやりとしている。薔薇の花束の効果は、まだまだ切れそうにない。
「おい、権八郎。あいつに泣かされたら、俺たちに言え!」
ポテトに夢中だったはずの伊之助が、ぐいと炭治郎に顔を近づけた。鼻先が触れそうな距離で詰め寄る伊之助に、炭治郎の焦点がやっと友人たちに向いた。
「お前ぇはいいやつだ、いつも俺たちをほわほわさせやがる。だから、あのギョロギョロ目ん玉と何かあったら俺たちに言え! わかったな!」
炭治郎は伊之助、それから善逸に玄弥にと目を向けて、彼らの心配する様子に気がついたらしく、大きく頷き返した。
炭治郎は、自分には勿体無いほどの友人たちだと、胸が熱くなる思いだった。朝のプロポーズが信じられなくて友人たちに相談して、その日の内に集まってくれたのだから、果報者なのだろうと炭治郎は目を伏せた。
夢みたいな心地だ。
地に足がついていないような心地だ。
「ありがとう、まだ実感湧いてこないけど、俺は……俺も煉獄先生が好きなんだ。年の差もあるし、同性だってわかっているけど、好きな気持ちはあるんだ、ここに」
そう言って胸に手を当てて涙ぐむ炭治郎に、友人たちもそれ以上の追及はしなかった。代わりにジュースを掲げて、「じゃあ、炭治郎の新しい門出に乾杯!」と声を揃えた。擽ったいような嬉しさに、炭治郎の笑顔が弾けた。
クリスマスイブの夜が街を彩って、道行く人の心が明るく輝いていく。炭治郎の足取りも軽く、今すぐにでもスキップしてしまいそうだった。炭治郎たち生徒のクリスマスイブは休日だけど、煉獄先生は日中は学校で仕事をしていた。朝のプロポーズの後、煉獄先生は仕事があるからと後ろ髪を引かれる思いで出勤したようだった。メッセージアプリには「夕方に君を迎えに行く、夕食をご馳走させて欲しい」と、嬉しい言葉が送られていた。だから炭治郎は、生家であるパン屋の店先に立って煉獄先生を一人待っている。ホワイトクリスマスではないけれど、それなりに冷える屋外で今か今かと煉獄先生の迎えを待つ。
「兄ちゃん、中で待ってたら」
店番をしていた弟の竹雄が、店のドアを少し開けて手招いてくれる。そう言えば今朝も、急に訪れた煉獄先生を不審者だと心配して、店の箒を振り回してくれたのだったか。炭治郎は眩しそうに微笑みつつ、首を振った。
「ありがとう竹雄、俺はここで煉獄先生を待つよ」
「あんなの、兄ちゃんを揶揄ってるだけだろ」
竹雄は、プロポーズの一部始終を思い返しているのだろう、苦虫を噛み潰したような顔を炭治郎に向けた。
「本気にしないほうがいいって、後悔するよ、兄ちゃん」
「後悔、したっていいんだ」
炭治郎は目を細める。
「それでも俺は、煉獄先生が好きだから」
「兄ちゃん……」
ただ、好きだという感情だけで炭治郎は花束を受け取った。この先にある未来がどういうものなのか、彼の思いがどういうものなのかわからないまま、受け取ってしまった。それを後悔する日がいつか来るのだとしても、それでも、煉獄先生の思いは受け取っていたいのだ。
例え今夜、迎えが来なくても。
空はもうすっかり、夜になってしまった。指先も肩も、なにもかもが冷えていく。心でさえも。プロポーズなんて嘘だったんじゃないだろうかと思うほどの時間を経て、ようやくこちらに向かって走ってくる足音が聞こえた。竹雄は「早く帰って来てよね」と、唇を尖らせながら店に戻る。
「すまない、遅くなった!」
煉獄先生の大きな声が住宅街に響く。冷えた身体のまま「全然、待ってなかったですから、大丈夫ですよ」と強がる炭治郎の身体が、煉獄の広い胸の中にめいっぱい抱き寄せられる。思いの外冷えてしまっていたのだろう、背中に回る腕は強く、煉獄の熱がたまらなく心地よかった。炭治郎はおずおずと煉獄の背に腕を回して、この幸せを受け止める。まだ夢見心地の自分に、これは現実だと教えるために。
「お腹が空いているだろう、申し訳ない、会議が長引いてしまって……」
「大丈夫です、先生のことを考えていたら胸がいっぱいで」
煉獄先生に手を引かれ、進み行く夜の道。普段は明るい学び舎でしか会うことのない二人が、恋人になったばかりの二人が、夜を歩いている。恋人、と反芻しながら炭治郎は煉獄先生の手を強く握り締める。それはたしかに強く握り返される。たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。
「うまい定食屋があるんだ、店主の夫婦が古い友人たちで、居心地のいい店で、よかったら」
「はい! 行ってみたいです、煉獄先生の好きな場所」
「うん……ああ、でも十時までには家に送ろう、約束する」
「夜明けまで」
「うん?」
「先生と、夜明けまで一緒にいたい」
ふいに止まってしまった煉獄先生の足。半歩だけ進んでしまった足を止めて、炭治郎はそっと彼を振り返る。恋人だと浮かれていたけれど、やはり彼には、煉獄先生には迷惑だっただろうか。そんな不安は、こちらを見据える熱い瞳によって霧散した。
「そんなことを言われたら、君を帰せなくなる」
息を呑むほどの執着。
「炭治郎、今はまだ聞き分けの良い子供でいてくれないか。君を、まだ子供である君を守りたい。恋人である以上、大人としてそれは守りたい」
「俺は、……大人になりたいです」
「ありがとう、でもそんなに急がないでくれ」
煉獄先生は照れ臭そうに笑って、炭治郎の手を引いて歩き出した。
「君との時間を、俺はゆっくり歩んでいきたい」
気まぐれで、年下の子供にプロポーズしたわけではないと、付け加えて。こんなに暗い夜でも煉獄先生の耳は赤く、下を向いてしまった炭治郎の耳も熱くなっていた。先は長い。夜明けだってまだまだ先だ。それでも炭治郎は、煉獄先生が見せてくれた気持ちを疑うようなことは、もうしたくないと心に誓った。
繋いだ手のぬくもりが、示してくれるから。
rntnワンドロワンライ「夜明け前が一番暗い」

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