「恋のレッスン──初級編8」
好きなのだと、潤んだ瞳で見上げられたその瞬間に「自分も同じ気持ち」だと告げていたらよかったのだろうかと、煉獄は自身のデスクに腰掛けながら深いため息を零した。
世間はクリスマス一色に染まっていくけれど、教師である自分には色鮮やかなイベントを楽しむ余裕などない。生徒たちは年末に向けて浮かれきっていることだろう。しかし、教師は期末テストや年末に向けての仕事が山積みで、少しも余裕がない。だが大人であるからこそ、その余裕の無さを子供に見せてはいけない。教壇に立っている間は、人の良い笑みで子供たちに教えを説き、そうして職員室では期末テストの採点に勤しんでいる最中だ。ため息の一つや二つ出るものだろう。
日が落ちるのも早い。外はもうすっかり宵闇にどっぷりと暮れてしまっていた。
「お疲れちゃん」
軽薄な声と共にデスク上に、コトリと缶コーヒーが置かれた。随分と集中していたようで、すっかり肩も強張ってしまっている。肩を軽く回しつつ「すまないな」と振り返ると、同僚の宇髄が「お互い様ってもんだろ」と片眉をあげた。とは言え、宇髄は美術教師ではあるがクラスを担任しているわけではない。部活動の時間が終わったから、こちらにわざわざ立ち寄ったのだろう。煉獄は「ありがとう」と、缶コーヒーを手に取った。
「で、お前クリスマスの予定はあんのかよ」
「藪から棒だな」
宇髄は肩を竦める。
「生徒たちが週末はクリスマスイブだと騒いでいたからな、そういやそんなイベントもあったなと思ってな」
「宇髄には恋人たちがいるだろう」
「俺はいいんだよ、煉獄は何か予定入れてんのかって聞いてんだ」
「聞いてどうするんだ」
「竈門とクリスマスイブを過ごさねえのか」
「どうしてそこで竈門少年の名前が出てくる」
「お前が竈門に一途だからだっての」
職員室には煉獄と宇髄の他に学年主任の悲鳴嶼先生が居たが、悲鳴嶼先生もパソコンの画面に集中していて、宇髄の失言には気が付いていないようだった。
缶を握り締める手に力がこもる。
「本気なら、子供を弄ぶような真似は止めておけ。って、前にも似たようなこと言ったな」
宇髄はおもむろに煉獄の頭をワシャワシャと撫でた。うわ、と煉獄が悲鳴を上げたので、悲鳴嶼先生が怪訝そうにパソコンの画面から顔を上げた。宇髄は悲鳴嶼先生に「何でもないっす」と弁解しつつ、今度は煉獄の背中を強めに叩いた。
「怖じ気づいてんじゃねえよ、あいつの本気を受け止めてやれよ。それでも大人かよ」
「君は加減というものを知らないのか」
「お前も加減を知れよ、ここ最近の竈門の顔、ちゃんと見てたのか? いいからもう帰れ、そして竈門に電話でもしてやれ」
煉獄は批難の声を上げようとしたが、悲鳴嶼先生が「煉獄、宇髄、喧嘩は止めなさい」と諌めてきたので、ヒリヒリと痛む背を撫でながら俯いた。
竈門の顔を見なくなって、どのくらい経ったのだろうか。
あの日、自宅に招いてしまった後悔だけが、胸に突き刺さって抜けないままだ。今更、どんな顔をして竈門に声をかければ良いというのだろうか。
無機質なスマートフォンの画面に目を落として、一体何度ため息を吐いただろうか。宇髄に促されるまま帰宅したものの、彼の言うように竈門に連絡を取れていない。モノトーンカラーのソファに沈み込むように腰を下ろして、あの日彼が座っていただろう場所に指を滑らせる。
気まぐれではなかった。
彼を、竈門を、独り暮らしをスタートさせたばかりの自宅に招いたのは、竈門のころころと変わる表情をもっと見てみたかったからに他ならない。名前を呼べば眦を朱に染めて、指先に触れるだけで肩を揺らす子供が煉獄に懸想していることは、誰の目にも明らかだった。
試したのか。
そうではない、竈門の口から「好き」の言葉を引き出したくて呼んだわけではなかったのだ、決して。「本気なら、子供を弄ぶような真似は止めておけ」と、宇髄の言葉が耳の奥で煉獄を叱咤する。
本気などでは。
嘯く自分の口もとを歪ませて、ただ暗い色を見せる四角い板切れに目を落とす。ただの教師が、私的な理由で生徒から個人情報を聞き出したことも、あの日自宅に招いたことも、本来なら許されないことなのだ。それでも、そんな馬鹿な真似をしてまでも、竈門に会いたかったのだ。
会いたい、ただそれだけの言葉が胸に灯る。
コール音が耳もとに鳴って、煉獄はハッと顔を上げる。いつの間にか電話をかけていたらしい。無意識の行動にまったをかけようとしたが、コール音はすぐに途切れて、聴きたくてたまらない声が耳もとで震えた。
『……もしもし、あの、……どうかしましたか煉獄先生』
スマートフォンを握る手に力が篭もる。スピーカー越しの竈門の声は、年相応に幼い。壁の時計を見上げれば子供はとっくに寝ている時間だ。
「竈門」
竈門は期末テストが始まる少し前から、社会科準備室に寄ることはなかった。廊下ですれ違っても、声をかけてくることもなかった。当然のように目線すら合わせてくれなかった。ほんの数日、ただ彼と会話をしていなかっただけで、どうしてこんなにも胸が苦しいのか。
「会いたい……」
藻掻くように、縋るような言葉に、電話の向こうの彼が息を呑む気配を感じた。
「君に会いたい、君の顔が見たい、君に」
『……もう遅いので』
竈門の返答は予想に反して冷ややかだった。当然の報いだと、煉獄は目線を落とした。中途半端に幼い恋心を弄んだ罰が下ったのだ。自分は竈門の純真な心を傷つけた。
『先生、朝になったら会いましょう』
それなのに、竈門の声はとても優しい色をしていた。
『俺も、……先生に会いたいです』
「抱きしめたい」
『もう夜の十時を過ぎてますから、それはだめですよ』
「顔が見たい」
『後で写真を送りましょうか』
「嫌だ、会いたい」
『先生って、ふふっ、甘えん坊なんですね』
「ああ、君に……甘えたい……」
『俺は子供ですよ』
「君という一人の人間に惚れているんだ」
『……ずるいなあ、大人って……』
竈門の声が震えている。啜り泣いている気配がして、煉獄の目にも涙が滲んできた。
「好きだ……竈門、君が好きなんだ……」
『先生の、……臆病者』
泣き笑いにも似た声音に、煉獄の口もとに笑みが灯る。
「すまない、明日……朝になったら君のもとへ行くから……、君に好きだと伝えに行くから……」
待っていてくれと懇願して、通話は終了した。充電はすっかり切れてしまっていた。いきなりぶつ切りになってしまった電話の無礼を、そして本心を伝えに行かなくてはいけないと、煉獄は腰を上げる。このソファにまた竈門が座ってくれる未来を信じながら、煉獄は明日へと歩を進めた。
翌朝、畏まったスーツ姿で薔薇の花束を持って竈門炭治郎の生家に訪れた煉獄は、あまりに場に不釣り合いなその格好に不審者ではないかと疑われ、竈門家の次男坊に箒を振り回されたとか、されなかったとか。
冬休み明けの学校で、煉獄と竈門炭治郎が和気藹々と談笑している姿を見れば、それもまた有り得そうな話しでもある。
rntnワンドロワンライお題「二人で愚かになろうか」

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