恋心、弾ませて/恋のレッスン初級編 - 7/10

「恋のレッスン──初級編6」

「兄上が独り暮らしですか、やはり寂しくなります」
「私はやっと、という気持ちでいっぱいですよ」
母は穏やかな顔で微笑みつつ、食器を梱包材で器用に巻いていく。煉獄の弟である千寿郎は、梱包材で包んだものを母から受け取り、緩衝材が詰められたダンボールの中へと丁寧に詰め込む。
自室の細々とした荷物、それから新居で使用する生活用品をまとめていくと、部屋はそれなりに手狭になってきた。煉獄はダンボールに封をしながら、手伝ってくれている家族に眉を下げた。
「母上、千寿郎、ありがとうございます。来年こそは来年こそは、などと先延ばしにしていましたが、いつまでも子供部屋おじさんでいるわけにもいかないので」
「兄上はまだおじさんではありません!」
千寿郎は、兄とそっくりの顔でぷくりと頬を膨らませた。竈門炭治郎よりは年上ではあるが、まだまだ高校生らしい様子が微笑ましい。
「ははは、いやいや、二十九と言えばれっきとしたおじさんだ。そのおじさんが母親の手料理に甘えてばかりもいかないだろう」
「母が教えたこと、身になっていれば良いですけれど」
「手厳しいですね」
煉獄がほとんど料理ができないことを案じて、母が事細かく自炊の極意を教えてくれたばかりである。今更と言えば今更ではあるが、三十路手前の息子に母親はまだまだ甘いのだろう。その甘さが煉獄にとってはくすぐったくも、嬉しいのだ。
「いいですか杏寿郎、一人で暮らすからと言って羽目を外すようなことは決してしなきように」
すっと姿勢を正した母に倣い、煉獄もまた背筋を伸ばした。
「特に女性関係には気をつけなさい。どんな女性にもご両親がいらっしゃいます。娘さんにも、そのご両親にも恥じぬような振る舞いをなさい」
「はい、心得ております」
と、殊勝な態度で返事をしながら思い返すのは、竈門炭治郎のことばかりだ。自分を慕っているとわかっていながら、彼が照れる様子が見たいからといって隙さえあれば彼に触れている。指先や肩、時には頬に触れては、彼の眦が朱に染まる姿をじっと見つめることが、この所の楽しみだ。茜色の瞳が潤んで、ただ自分だけを見上げてくれる。それだけが、それだけが幸せで──。
「杏寿郎」
「はい」
「お相手の方の気持ちを、きちんと考えるのですよ」
竈門の笑顔が思い浮かぶ。その笑みは純粋で美しい。愛らしいとすら思える。
けれど彼の気持ちを、一度でも考えたことがあるだろうか。自分に触れられて竈門は赤面しているが、年上の男性に触れられて気分がいいかどうかなど、勝手に判断していいものなのか。
母の鋭い視線に気が付いて、煉獄はごくりと唾を飲み込んだ。覚悟、というものが喉元を行き過ぎる。自分は竈門をどうしたいと言うのだろうか。

社会科準備室に訪れる年下のかわいい子供は、いつも眩しそうな目で煉獄を見上げてくれる。煉獄が「よく来てくれた」と言ってお茶をご馳走することを、心から喜んでくれている様子だ。しかし、様子でしかない。本心はわからない。勝手に竈門の気持ちを決めつけてはいけない。
「ありがとうございます、先生。お茶とっても美味しいです」
だけど、マグカップを受け取って笑ってくれる竈門に、自分はもうすっかり囚われてしまっている。日に当たると赤茶色に光る髪、陽射しを閉じ込めたような明るい瞳をずっと眺めていたい。笑っていて欲しい、もっと、もっと色んな顔を引き出してみたい。
この心は、純粋だろうか。
この気持ちは、不純だろうか。
「竈門」
彼の瑞々しい頬に触れる。吸い付くような肌の感触を手のひらに閉じ込めて、震える竈門の瞳をじっと覗き込む。惹き寄せられるほどに美しくて、たまらない気持ちになる。このままこの小さな顎を引き寄せて、口付けてしまえたらいい。できたらいいのに、と思う自分は、もうすっかり竈門に囚われてしまっているのだろうか。
彼の気持ちを考えもせずに。
そうして竈門の肩が強張るのも構わずに、彼の柔らかな耳もとに唇を寄せる自分は、とてもずる賢い大人だと、煉獄は思う。彼の鼓膜に、彼の心に、ただ一言「好きだ」と告げることもできないのだから。

rntnワンドロワンライお題「君にor貴方に囚われて」

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