恋心、弾ませて/恋のレッスン初級編 - 5/10

「恋のレッスン──初級編4」

「煉獄先生って、今いくつなんですか」
放課後に忍び込む社会科準備室。炭治郎は準備室に備え付けてあるソファに腰を下ろして、何でもない風を装って部屋の主に問いかけた。このソファは元々応接室にあったもので、新調する際に以前ここに勤めていた歴史教師が貰い受けた年代物だ。座ると、スプリングが軋んで変な音がする。
「ふむ、いくつだったかな」
「えー、自分の年齢くらい覚えていて下さいよ」
「はははっ、大人らしいだろう?」
煉獄先生はそう言ってカラカラと笑うと、鼻歌を歌いながら湯沸かし器のスイッチを入れた。ポットと違って軽量で、スイッチひとつで簡単にお湯を沸かせる代物だ。先生はこれから自分にコーヒーをご馳走してくれるのだ。
準備室に行く目的は、ちょっと前までは風紀委員の冨岡先生から逃れるためだった。耳もとで揺れるピアスが校則に反するという理由で、竹刀片手に追いかけ回されていた。けれど、入学して初めて迎えた夏休みが明けた後は、ぱったりお咎め無しとなっている。だから追いかけられることもなければ、煉獄先生のもとへ向かう意味だって無い。
けれど夏休み前までひっきりなしに赴いたこの足は、煉獄先生を覚えてしまったのだろう。今日もまた、彼のもとへ来てしまった。いつだって明るく笑うこの人のもとへ。
「そういう君は、今いくつだ」
「七月で十六歳になりました」
「すまん、誕生日を祝い損ねたな」
煉獄先生が心から詫びている様子に、炭治郎のほうが逆に恐縮してしまった。
「いいですよ、子供の誕生日なんて大したことことないですから」
「大したことあるだろう、今からでも祝ってあげたいくらいだ」
「だから、いいですってば」
こういうやり取りができるだけで幸せですから。とは口に出さずに、煉獄先生を振り返る。ポットのお湯が沸いたらしく、丁寧な所作でお茶を煎れてくれている背中をそっと目でなぞる。大きな背中だ。白いシャツの上からでもわかる筋肉の盛り上がりに、喉が鳴る。夏休み前まで、あの身体に抱きしめてもらってばかりだったと、ふいに記憶が蘇ってきて耳もとが熱くなる。
冨岡先生から身を隠すために訪れたこの場所で、煉獄先生は事情を察して炭治郎をデスクの下に隠してくれた。それも、炭治郎のことを抱きしめて。最初は偶然みたいなものだっただろう。けれどそれが二回、三回ともなれば必然だ。必然的に煉獄先生は炭治郎を抱き寄せた。そのことを問い正したことは、一度もない。互いの呼吸さえ触れ合うほどの距離に心を乱されても、その行為の理由を聞くことはできなかった。
何故、自分を抱き寄せたのか。
何故いつも、指先を絡めてくれるのか。
聞いてみたいという衝動は、夏休みの突入によって行き場を無くし、今は彼の根城でお茶をご馳走されることで落ち着きを見せている。当然だが、もう彼に抱きしめて貰うこともない──ここは、逃げ込む場所ではなくなったから。
「何か、欲しいものはあるか」
煉獄先生は、炭治郎の手にマグカップを差し出した。花柄のマグカップを受け取りながら、炭治郎は困った風に笑って首を緩く振った。
「だから、いいですってば。それに先生が生徒に贈り物をしたなんて知られたら、示しがつきませんよ」
「……知られなければいいだろう」
ギシッと音を立てて、煉獄先生は当然のように隣に座る。大人一人分の体重が、ソファを更に深く沈ませる。撓んだ二人の距離感に、まだまだ体重の軽い炭治郎は彼に向かって滑り落ちそうな感覚を覚える。横顔に向けられた視線に振り向くことができない。自然と頬に熱が集まっていく感じがして、炭治郎は誤魔化すようにマグカップに口をつけた。
しばらく先生がこちらを見ているような気配を感じたが、炭治郎がそっと彼を盗み見た時には違う方向を向いていた。彼の手の中にあるマグカップも花柄で、その指に光り物が無いかどうか探ってしまう自分が、とても愚かしいと炭治郎は思う。もしそこに光る指輪を見つけて、それでこの気持ちが抑えられるかなんて、わかりもしないのだから。
「随分と熱い目線を送ってくれるんだな」
ハッとして見上げると、金環の目に捉えられた。炎を閉じ込めたような、金と赤が混じり合う不思議な虹彩。その中に、間抜けな顔をした炭治郎が閉じ込められている。
「せ、先生が……先生だって、俺を見ていたじゃないですか……」
拗ねるように言うと、煉獄先生の目が柔く撓んだ。
「ははっ、君は本当に……かわいいな」
かわいいな、その一言で心臓が飛び跳ねてしまうことをこの先生は自覚したほうがいいのではないだろうか。炭治郎は己の胸のあたりが暴れていることを悟られないように、目を泳がせた。
「お、男のどこがかわいいんですか」
「そういうところ」
「どういうところですか」
「君のその、百面相みたいなところ」
ちらと煉獄先生を窺うと、蕩けそうな目でこちらを見つめてくれていた。その視線の意味を、言葉をどう捉えたらいいのかわからなくて、炭治郎はただただ真っ赤な顔でお茶を飲む。いつもならその様子に抱腹絶倒してくれる煉獄先生は、こちらに甘い視線を寄越しながら静かにお茶を飲んでいた。その上品な仕草に、態度に、焦がれてしまっている自分に、煉獄先生はとっくに気付いてしまっているのだろうか。
ソファの上で無防備に誘う手のひらに指先で触れて、そっと重ねた。振り払われない体温が、ひどく大人っぽくて羨ましかった。

rntnワンドロワンライ「大人になりたい」

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