恋心、弾ませて/恋のレッスン初級編 - 3/10

「恋のレッスン──初級編2」

 

竈門炭治郎とはどういう人間か。そういう質問をされたなら、煉獄はとある日の出来事を思い浮かべるだろう。

「すみません、このことはどうか! どうか、ご内密にお願いします!」
萌黄色のブレザーを着た生徒が、深々と背中を九十度以上に折り曲げる姿に煉獄は「ううむ」と顎を撫でた。この春に入学したばかりらしい真新しい制服は輝いてすら見える。だからこそ耳もとで揺れる花札を模したピアスだけが、異質に輝いて見えた。
そのピアスはどうしたと、煉獄はすれ違い様にそう問いかけただけだ。風紀委員でなくとも、やはりピアスはどうしたって目についてしまう。だから声をかけたのだが、その生徒は煉獄の声に反射的に頭を下げてしまったのだ。それはもう、就活生のお手本のような美しいお辞儀姿を。
「いや、咎めているわけではないんだ」
「本当に申し訳ありません! これは父の形見で外せないんです!」
「そうか、それはすまなかった! ともかく顔を上げてくれないか、衆目がある」
校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下を行き来する生徒や、校舎から送られてくる視線がちくちくと痛い。本来教師たる煉獄が、そんな視線を気にする謂れはないのだが、どうもこうもきっちり頭を下げられてしまうと、動揺すら覚えてしまう。
「君、もういいから顔を上げなさい」
「大変に申し訳ありません!」
「存外に」
ここで言葉を切った煉獄は、ふいに襲った衝動に抗えずに「ふはっ」と吹き出してしまった。
「君、君は頑固、ははっ、頑固だなあ、あははは!」
突然腹を抱えて笑い出した煉獄に、生真面目な生徒が弾かれたように顔を上げた。その明るい茜色の瞳に胸が高鳴るのを覚えつつも、しばらく渡り廊下には煉獄の高らかな笑い声が響いた。

四月半ばのことだったので、先の事件は春の嵐のようだったと生徒たちの間で話題になったようだ。聞くところによれば、煉獄の笑い声が校舎どころか隣町まで響いたとか、何とか。まあそれは冗談にしろ、煉獄が豪快に笑ってしまったことで、ピアスの持ち主である生徒──竈門炭治郎の処遇についてはお咎め無しとなった。それでも風紀委員の冨岡先生は竈門炭治郎を見かける度にホイッスルを鳴らし、竹刀を持って追いかけ回している。ご苦労なことである。
「煉獄先生、ちょうどいいところに!」
さて、そんな冨岡先生に追い回されている件の竈門炭治郎が、向かい側から全速力で走ってきている。
「俺を隠して下さい!」
鼓膜がビリビリするような大声を出しておきながら言う台詞ではない。けれどあまりに必死に逃げて来るので、煉獄は両腕を広げて「おいで竈門少年!」と、彼を出迎えた。そしてラグビー選手よろしく煉獄の胸にタックルしてきた彼をぐわしと掴まえ、人並み以上に体格の良い腕の中にぎゅむと押し込めて隠してあげた。
「煉獄、その手を離せ」
当然、風紀委員の冨岡先生は表情の読み取れない顔で煉獄と、その腕の中にいる竈門炭治郎にホイッスルを鳴らす。しかし煉獄は「すまない! ここに竈門少年はいない! ほかを当たってくれ!」と、すっかり竈門炭治郎を隠したつもりである。冨岡先生も睨みを効かせ、煉獄も笑みを絶やさず相対し、しばし廊下にはボルケーノだのブリザードだのが巻き起こったようにも思えた。周囲の生徒はその様子に震え上がったし、竈門炭治郎の友人である我妻善逸に至っては泡を吹いて倒れたとも言う。
ともかくも、煉獄と竈門炭治郎は何かとお騒がせな二人として如実に校内で噂になっていくのであった。

「しっ! 先生、内緒ですよ」
そう言って、放課後に煉獄の根城である社会科準備室に入ってくる竈門炭治郎は、いつも抜き足差し足忍び足であった。また冨岡先生にピアスのことで追い回されたのだろう、彼は役者のように大仰にそろりそろりとドアをスライドさせ、これまたそろーりそろりとご丁寧にドアを締めた。動きもまるで泥棒のようではある。腰を低くして、窓から自分が見えないようにしゃがんだりするので、どうにもこれが煉獄の笑いの沸点に差し掛かる。
「ふっ、ふふっ」
駄目だ笑ってはいけない。
そう思うと余計に笑えてしまうので、竈門炭治郎が社会科準備室に入室した合図として煉獄の豪快な笑い声が学校中に響きわたってしまう。
「も、もうっ! 先生、笑わないでください!」
曲がりなりにも隠れているつもりなのだろう、竈門炭治郎はドアのそばで中腰の姿勢で外を見張っている。その懸命な様子は実に愛おしいのに、煉獄の笑いは止まりそうにない。あの冨岡先生に見つかってしまうのも、時間の問題だろう。
「かまっ、竈門、ふふははは、竈門っ、おいでっ」
「何ですか、笑いながら人を呼ばないで下さい」
「はははははっ、竈門少年、おいで、ここにっ、ははっ、ここにおいではははははっ!」
「だからそんなに笑わなくっても、笑わな……ふふっ、ふふふっ」
笑いというものは伝染するらしい。竈門炭治郎も笑いを堪え切れず、腹を抱えながら、いやもう歩くのも大変そうに這いつくばるように煉獄のそばへとやってきた。カラカラと、彼が笑う度に軽やかに鳴るピアスを見下ろしながら、煉獄は今だ笑いを抑えきれぬ顔で竈門炭治郎を抱き寄せた。そうしてふいに声を押し殺し、人差し指で彼の唇を塞ぐと、すっと窓際のデスクの下に二人まとめて潜り込んだ。急に教師に抱きしめられたせいだろう、すっかり無言になってしまった竈門炭治郎は、煉獄の胸をぎゅっと両手で掴んでいた。
見計らったみたいに準備室のドアがけたたましく開かれた。冨岡先生だろう。彼はしばらく出入口に突っ立っていたが、煉獄と竈門炭治郎の姿が見えないので、ものの数秒でドアを締めてその場から去って行った。つい先刻まで煉獄の笑い声が響いていたのだから、誤魔化しが効いたとは思えないが、ともあれ彼を巻くことくらいはできたようだ。
「よし、もう大丈夫だぞ竈門少年」
冨岡先生はもういないぞ、そう告げようとした煉獄はハタと我に返った。共に机の下に隠れただけでなく、竈門炭治郎の背中を包み込むように抱きしめていたのだ。勢いというものは恐ろしい。何もこんなに抱きしめなくてもよいのに。
「す、すまない!」
慌てて抱擁を解こうとした煉獄の腕の中で、竈門炭治郎がもぞりと動いた。まろい頬はかわいそうなくらい茹だっており、煉獄をそろりと見上げた目は熱く潤んでいる。
「竈門、少年……」
「煉獄先生、あの、ないしょ、ですよ?」
そう言って煉獄の胸に頬を擦り寄せるこの子供を、煉獄はどうしたら良いのかと天を仰いだ。まんざらでもない自分がいるから、更に困った。はてさて、どうしたものか。
rntnワンドロワンライお題「ないしょの話し」

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